東京高等裁判所 昭和49年(行ケ)74号 判決
一 前掲請求原因のうち、本願発明の出願から拒絶査定を経て審決の成立にいたる特許庁における手続の経緯、本願明細書の特許請求の範囲の記載自体及び審決の理由の要点に関する事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、右審決に原告主張の取消事由があるか否かについて審究する。
(一)原告はまず、本願明細書の特許請求の範囲に銀の添加割合として「〇・〇一%」と記載されているのを「〇・〇一%以下」の誤記である旨を主張し、成立に争いのない甲第五号証(本願発明の昭和四八年八月一四日付補正にかかる全文訂正明細書)中、「銀は〇・〇一%存在すると、砒素とともに粒子境界に分離することが、鋳造後適当な冷却の際に認められる。銀の粒子境界への分離は砒素の存在によつて生起する腐蝕作用を緩和することを認めた。〇・〇一%を超える銀の効果は顕著でなく、単に合金のコストを上昇させるだけである。」との記載をもつて、根拠とするが、右記載だけで本願発明の合金における銀の添加割合に〇・〇一%を下廻るものが含まれると解すべき技術的理由はなく、右明細書中、他に原告の右主張の根拠とするに足りる記載はない。してみると、本願発明の要旨は、すべて本願明細書の特許請求の範囲に記載されたとおりのものであると認めて妨げない。
(二)次に、前出甲第五号証によれば、本願発明は従来公知の鉛ー酸蓄電池用電極に関し格子を構成する合金の新規な組成を得て、特に合金の耐蝕性及び機械的強度の改良を行うことを目的として、特許請求の範囲に記載されているような純鉛少なくとも九九・八九%、テルル〇・〇四~〇・〇六%、銀〇・〇一%、砒素〇・〇二~〇・〇四%の各割合からなる鉛合金を格子棒に用いるものであり、テルル銀は主として耐蝕性のため、また砒素は主として耐蝕性及び機械的強度のため添加されるものであることが認められるところ、成立に争いのない乙第一号証の一ないし五(田川博著「電池及び蓄電池」)には、鉛ー酸蓄電池はその寿命を陽極格子の腐蝕によつて制されるため、その腐蝕防止が重要な研究対象となつていること、鉛ーアンチモン合金は純鉛に比して耐蝕性がはなはだ大きく、この合金に微量の銀や砒素を添加すれば耐蝕性が一層大きくなること、微量の砒素の添加は陽極腐蝕を減少させるほか、機械的強度を増加するので、多く用いられるが、添加量が多くなると、電池使用中に猛毒性の砒化水素ガスが発生し、作業員を中毒させるので、その使用限度は約〇・三%までといわれていること、鉛ーアンチモン合金は約〇・一%程度の銀を添加することにより陽極としての耐蝕性が向上し、自己放電が減少すること、鉛ーアンチモン合金は砒素や銀を添加することにより耐蝕性能は向上するが、アンチモンの存在により多少なりとも自己放電や水素ガスの発生が伴うので、これを防止するため、アンチモンの代りに鉛より電気化学的に卑である金属又は鉛より水素過電圧が高い金属が求められた結果、鉛ーカルシウム合金が登場したこと、カルシウムを〇・一%程度含有する鉛ーカルシウム合金はアンチモンを五~六%含有する鉛ーアンチモン合金と同程度の強度を有し、蓄電池格子用として使用しうること等が記載され、また、成立に争いのない甲第一〇号証(日本工業規格)には、鉛地金において不純物として許容される銀及び砒素の含有量は日本工業規格H二一〇五の場合には、鉛九九・九〇%以上のものにおいて、銀〇・〇〇四%以下、砒素〇・〇一%以下であることが記載され、これらの記載内容が本願出願当時、すべて周知事項であつたことは当事者間に争いがない。
そして、以上の事実から推考すると、本願発明の目的とする鉛ー酸蓄電池用電極の格子に用いる鉛合金の耐蝕性及び機械的強度を向上改良する試みはすでに本願発明出願当時にも行われていたが、本願発明においては、さような改良のため鉛合金に対する従来周知の添加成分のうち、アンチモン、カルシウムに代えて銀,砒素と、新規なものとしてテルルとを用い、銀及び砒素の添加割合を精製鉛において許容される不純物としての割合と本願出願当時周知の改良鉛合金における添加割合との中間の数値とするものであることが明らかであるから、本願発明において鉛合金の基体たる純鉛に添加するテルル、銀、砒素の各割合を発明の要旨のように規定することにより、その合金の耐蝕性及び機械的強度につき、従来周知の改良合金に比し、どの程度、特有の効果を奏するものであるかは当然、本願明細書の発明の詳細な説明に定量的に明らかにされなければならないものというべきである。
しかるに、本願明細書(前出甲第五号証)には、本願発明の鉛合金の耐蝕性に関連して従来の鉛ーアンチモン合金の欠点に言及するほかテルルが銀、砒素とともに鉛相を包囲してすぐれた耐蝕性と保護効果を発揮する等の説明が記載されているにすぎず、これだけでは、本願発明の鉛合金特有の耐蝕性を具体的に知ることができないから、本願発明の効果につき、少くとも右鉛合金の耐蝕性の点において、その属する技術分野における通常の知識を有する者が容易に実施することができる程度に記載されているということができず、これと相容れない原告の主張はすべて排斥するほかはない。
そうだとすれば、本願明細書は右の点で既に特許法第三六条第四項の規定する要件を充足していないものというべく、本件審決がこれを理由に本願を拒絶すべきものとした判断は正当であつて、右審決に原告主張の違法はないといわなければならない。
三 よつて、本件審決にさような点の判断の誤りによる違法があることを理由に、その取消を求める原告の本訴請求を理由がないものとして、棄却することとする。
(発明の要旨)
本願発明の要旨は次のとおりである。
負荷に耐え、かつ導電性の格子棒とそれを包囲する活性物質とを有する種類の鉛ー酸蓄電池電極において、前記の格子棒における鉛合金は少なくとも九九・八九%の純鉛と残部〇・〇四~〇・〇六%のテルル、〇・〇一%以下の銀、〇・〇二~〇・〇四%の砒素からなることを特徴とする鉛ー酸蓄電池電極。
(審決の理由の要点)
右審決が示した理由を要約すれば、次のとおりである。
本願発明の要旨は全文補正明細書の特許請求の範囲に記載されたとおり、前項の発明の要旨のうち、「〇・〇一%以下の銀」とあるのを「〇・〇一%の銀」とするほかは、これと同じ内容のものであることが認められるところ、本願に対する拒絶査定の理由は本願明細書の記載が次の各点で不備であつて、特許法第三六条第四項に定める要件をみたしていない、すなわち、(1)Te、Ag、Asが本願電極に用いる鉛合金に与える作用(相乗作用)、効果について具体的記載がない、(2)上記鉛合金におけるTe、Ag、Asの組成範囲を特許請求の範囲のように限定した理由及びこれによる効果について記載がない(特に特許請求の範囲に記載された組成範囲からはずれた鉛(Pb)合金と前記鉛合金とを性質、作用の点で比較し、本願電極の構成、効果を明瞭にすべきものである。)というにある。これに対する原告の意見書によれば、添加成分の添加量の限定並びに作用効果については明細書四頁一二行目ないし八頁八行目に説明し、その中で、機械的強度が従来のSbを含むものに比べて優れ、少量の添加によつて添加成分の電解質への溶出による分解電圧の減少する危険を少なくし、分解電圧に到達する危険なしに蓄電池の充電を可能にするものであることに触れたうえ、本願発明電極の応用面における特徴、本願発明と限定外組成のものとの比較については同九頁六行目以降に若干説明している旨が述べられ、また、審判請求の理由には合金成分添加の理由と効果が説明されている。
ところが、本願明細書の四頁以降には、最高で〇・一%までのTe、Ag、Asの添加により耐蝕性に優れ、機械的強度が十分の合金が得られたことを説明し、機械的強度については四つの負荷におけるクリープ強さを比較しているものの、そこに示された合金はAsの添加量を特に〇・〇五%とする合金であつて、本願発明のAsの範囲(〇・〇二~〇・〇四%)外のものであるばかりでなく、他の添加成分、例えばAgについても、その量的割合として〇・〇一%の一点を示すのみで許容範囲がないため、実際上このような合金を配合するには種々の困難が伴うものと認められるのに、具体的な製造条件の開示もない。しかも、本願明細書は電解質が存在する特殊状態下で充放電を行なうことに使用される本願発明の合金が従来のものに比し、どのような特性を示すかという当然必要な事項を措いて、組成範囲外の合金の機械的性質を示したり、本願発明の応用面における特徴の開示も具体性を欠いたりしている。
したがつて、本願明細書の発明の詳細な説明は拒絶査定の理由で指摘した不備な点が補われず、結局、本願発明の構成、効果がその技術分野の通常の知識を有する者において容易にこれを実施することができる程度に記載されていないものと認められるから、本願は特許法第三六条第四項に規定する要件をみたしているといえず、同法第四九条第三項の規定によつて拒絶すべきものである。